発明王トーマス・エジソンの改良品・発明品5選

歴史

学校でもよく教科書に出てくるトーマス・エジソン。

有名な言葉に天才は1%のひらめきと99%の汗」というほど、その並外れた努力によって人類に欠かせない物を数多く発明し「発明王」の異名を取っています。

後に自分の会社がゼネラル・エレクトリック社となり、現在でも存続して大企業となっています。

Thomas Edison2
生誕1847年2月11日
 アメリカ合衆国、オハイオ州マイラン
死没1931年10月18日(84歳没)
 アメリカ合衆国、ニュージャージー州ウェストオレンジ
国籍 アメリカ合衆国
別名発明王
メンロパークの魔術師
訴訟王
アメリカ映画の父
西洋の田中久重
教育小学校中退
配偶者メアリー・スティルウェル (1871 – 1884)
ミナ・ミラー (1886 – 1931)
子供トーマス・エジソン・ジュニア
ウィリアム
マリオン
チャールズ
セオドア
父:サミュエル・オグデン・エジソン・ジュニア
母:ナンシー・マシューズ・エリオット
業績
成果電気器具の改良・発明、およびそれの普及に必要な電力産業の事業化

出典:トーマス・エジソン – Wikipedia

5位 株式相場表示機(改良品,1869年)

Edison Stock Telegraph Ticker
その後、トーマス・エジソンの会社で改良されたストック・ティッカー・マシン(株式相場表示機)

株式相場表示機は昔の証券会社などに置かれていたティッカーと呼ばれているもので、ティッカーテープと呼ばれる紙テープに銘柄と価格を自動で印字してくれる機械でした。

株式相場表示機はエジソンが22歳の時にウォール街にあるゴールド・アンド・ストック相場電信会社へ就職し発明しました。

当時の電信表示機は欠陥が多くそこに目を付けたエジソンが改良しそれを「ティッカー」と名付けて特許を取得しました。

1869年、エジソンが22歳の時に特許を取得した株式相場表示機は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。最初、エジソン自身は5000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、実際には4万ドル(現在の日本円だと約2億円相当)で買い取られ、エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでゆくことになった。

トーマス・エジソン – Wikipedia

ここで得た利益を元にトーマス・エジソンは自分の工場と研究所を立てて、その人生で数々の発明品を生み出す最初の一歩を踏み出すことになりました。

4位 トースター(発明品,1910年)

Toaster
ポップアップ式トースター

現代でも使われているトースターも元々はトーマス・エジソンの発明品です。

これは電気を使うトースターですが、電気事業を立ち上げた後に電気の使い道として発明した道具ともいわれています。

このトースターの登場により、「一日二食では不健康である。人は一日三食食べなければならない」 とエジソンがトースターを販売するために宣伝した結果、一日二食だった習慣が一日三食になったと言われています。

3位 キネトスコープ(映写機)(発明品,1891年)

Kinetoscope

キネトスコープは映画を上映する装置です。撮影機をキネトグラフといってこれもトーマス・エジソンが発明しています。

これにより「アメリカ映画の父」とも言われるほどになりました。

現在でも映画や動画が普及しているのはトーマス・エジソンのおかげかもしれませんね。このキネトスコープの登場によりフランスのリュミエール兄弟が刺激を受け、キネトスコープの改良版を作ってトーマス・エジソンと並び「映画の父」と言われるようになっています。

2位 蓄音機(改良品,1888年)

Edison and phonograph edit3
自身が開発した初期の蓄音機とともに。1878年、エジソン31歳

蓄音機は音声を録音・再生できる装置で、現代の音楽プレイヤーの基礎にもなっている装置です。

蓄音機自体は既に発明はされており、それをトーマス・エジソンが改良し普及させた功績が非常に大きくなっています。当時の人々はトーマス・エジソンの研究所があった「メンローパーク」をこぞって訪れ蓄音機を不思議そうに見ていたそうです。

元々は電話の発明でベルに後れを取り、それなら音声を送らずに録音・再生できるだけでいいのではと考え蓄音機の改良品として生み出されます。その後、蓄音機を見たベルはその蓄音機の改良に乗り出します。さらにベルの会社のエミール・ベルリナーが改良品を出し、現代のレコード盤の基礎となりました。

1位 白熱電球(改良品,1879年)

Gluehlampe 01 KMJ

現代にも残る白熱電球はトーマス・エジソンによって広められました。

元々の発明者はイギリスのジョセフ・ウィルソン・スワンですが、当時は1分も明かりが灯らない物で、その後の改良で長時間明かりが持つようになりました。

トーマス・エジソンは白熱電球の研究で数千回以上の失敗を繰り返し、最終的には京都府八幡市の竹を使って45時間以上明かりが灯るように改良しました。

その後、スワンから訴訟を起こされたエジソンは最終的に「エジソン&スワン電球会社」を設立し権利を分け合う形で和解しています。

その後はさらなる電球の改良を行い電気会社を立ち上げ、現代にも残る形で電球の普及に努めました。

エジソンが亡くなった時には追悼の意を込め、1分間全米の明かりが消されています。これは電気が無い時と比べてどれだけ偉大な発明だったかを皆に分かってもらうための意味もあったと言われています。


いかがでしたでしょうか。

こうしてみると改良品も多いので、訴訟王と言われた事も納得いきますね。

ただトーマス・エジソンの功績としては既製品をさらに使いやすく改良し、普及させた点にあり改良されていなければ埋もれていた発明になっていたかもしれません。

改良するまでの研究では非常に多くの失敗を経験しており、偉人伝にもよく出てくるように発明家として大きな名声を手に入れました。

晩年はオカルト好きで死者との交信ができる装置を発明しようとしていたと言われていますが、亡くなった後に遺言通り全て証跡を消されたと言われています。

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