現代の剣道の流派にも!?戦国時代の最強剣豪5選

戦国時代

戦国時代は武士の時代でした。剣の強さよりは武将の強さが望まれた時代に剣の道を走りうづけた最強剣豪達5人をご紹介します。

主に後世への影響力を重視し他に個人としての強さなどからランキングを作っています。

5位 柳生宗矩

Yagyu Munenori
時代安土桃山時代から江戸時代前期
生誕元亀2年(1571年)
死没正保3年3月26日(1646年5月11日)
別名新左衛門、又右衛門(通称)
戒名西江院殿前但州太守大通宗活大居士
官位従五位下、従四位下、但馬守
幕府江戸幕府将軍家剣術指南役・大目付
主君徳川家康→秀忠→家光
大和柳生藩主
氏族柳生氏
父母父:柳生宗厳(石舟斎)
母:奥原助豊の娘・奥原鍋(春桃御前)
兄弟厳勝、久斎、徳斎、宗章、宗矩
正室:松下之綱の娘・おりん
側室:おふじ、おゆり
4男2女:三厳(長男)、友矩(次男)、宗冬(三男)、列堂義仙(四男)、娘(武藤安信室)ほか
出典:柳生宗矩 - Wikipedia

流派:柳生新陰流

柳生宗矩は上泉信綱より新陰流を継承した柳生宗厳を父に持ち、柳生新陰流を確立させ広めた剣豪です。徳川家の剣法指南役としても有名です。

剣豪エピソード

剣士としては、江戸初期の代表的剣士の一人として知られる。将軍家兵法指南役として、当時の武芸者の中で最高の地位に位置し、「古今無双の達人」「刀術者之鳳(おおとり)」「父(石舟斎)にも勝れる上手」「剣術古今独歩」「剣術無双」など様々に賞賛されている。また、新井白石や勝海舟なども自著にて賞賛している。

一剣士としてだけに留まらず、「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの概念を包括した新しい兵法思想を確立し、後世の武術・武道に大きな影響を与えた。その功績を讃え、平成15年(2003年)には宮本武蔵と並んで全日本剣道連盟の剣道殿堂(別格顕彰)に列せられている。この宗矩の思想をまとめた『兵法家伝書』は、『五輪書』と共に近世武道書の二大巨峰と評され、『葉隠』や新渡戸稲造著『武士道』など武道以外の分野の書物にも影響を与えている。

柳生宗矩 – Wikipedia

江戸初期の剣豪としては、相当な知名度を誇っていたようです。

知名度や徳川家の兵法指南役になったほどの実績、後世への影響から5位にしました。

4位 宮本武蔵

Miyamoto Musashi Self-Portrait
時代江戸時代
生誕天正12年(1584年)?
死没正保2年5月19日(1645年6月13日)
改名幼名:辨助(または弁助・弁之助)
別名藤原玄信、新免武蔵守、新免玄信、新免武蔵、宮本二天、宮本武蔵
戒名二天道楽居士
墓所武蔵塚(熊本県熊本市北区)
父母新免無二
養子:三木之助、伊織
出典:宮本武蔵 - Wikipedia

流派:二天一流 創始者

宮本武蔵は江戸初期の剣豪で、様々な武家との決闘エピソードや巌流島の佐々木小次郎との決闘が演劇や小説などの題材となり有名になりました。

13歳で初めて決闘を行い、それ以降60余回の決闘において全勝という一人の剣豪としては最強と言えるほどの剣豪だったようです。

後に二刀流の基本形ともなる二天一流を後世に残し、晩年に書いた五輪書をはじめ様々な書物も残した剣豪です。

ただ、武蔵個人が強すぎ二天一流をうまく扱える弟子が出来なかったため、著名な弟子が現れませんでした。その点で4位としています。

3位 伊東一刀斎

流派:一刀流 創始者

伊東一刀斎は、戦国時代を生きた剣豪で一刀流剣術の祖と言われています。

本人が強かったのは勿論ですが、その剣術は後に様々な流派に分かれて様々な種類の一刀流が生まれました。

様々な一刀流

  • 唯心一刀流(大垣藩)
    • 正木一刀流(大垣藩)
    • 竹内一刀流(加賀藩)
  • 伊藤派一刀流
    • 溝口派一刀流(会津藩)
      • 甲源一刀流(紀州藩)
  • 小野派一刀流(徳川幕府)
    • 梶派一刀流(徳川幕府)
    • 中西派一刀流(忍藩)
      • 天真一刀流
      • 北辰一刀流(水戸藩、宇都宮藩)
    • 一刀正伝無刀流(駿府藩)

出典:一刀流 – Wikipedia

幕末に活躍する坂本竜馬も北辰一刀流の免許皆伝を持っています。

剣豪エピソード

『一刀流極意』(笹森順造)によると「高上金剛刀を極意とし英名を走せていた中条流の達人鐘捲自斎通宗を江戸に訪ね、就いて自斎から中条流の小太刀や自斎の工夫になる中太刀を学んだ。弥五郎(一刀斎)は日夜一心不乱に鍛錬の功を積んだので(中略)自斎は深く感心して自流の極意、奥秘の刀たる妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣の五点を悉く弥五郎に授けた」という。ほかにも、自ら編み出した極意として、愛人に欺かれて刺客に寝込みを襲われ、逆襲したときに生まれたという秘太刀「払捨刀」、他に刃引・相小太刀・越身、鶴岡八幡宮に参籠して無意識のうちに敵を斬り、悟りを得たという「夢想剣」などがある(溝口派一刀流伝書、他流伝書)。「景久師、回國他流戰三十三なりと、没日は七日なりと。年號つまびらかならず」(『一刀流歴代略』)とあるようにその後一刀斎は諸国を遍歴し、勝負すること33度、ただの一度も敗れなかったという。

伊東一刀斎 – Wikipedia

本人も強く後世にも一刀流を根強く残したということで3位としました。

2位 上泉信綱

流派:新陰流 創始者

上泉信綱は戦国時代中期の剣豪です。箕輪城の長野氏に従っていて、武田信玄を何度も撃退したことで有名な長野業正の配下として活躍しています。そこでは兵法家として軍師のような役割も果たしていたように思われます。

剣豪エピソード

上泉伊勢守が門弟・丸目蔵人佐とともに将軍足利義輝に兵法を披露し、それに対する義輝からの感状が、熊本県の丸目家に所蔵される。永禄7年(1564年)のものと言われるが、年次の記載は無く実際のところは不詳。少なくとも永禄8年5月19日(1565年)の義輝討死以前と推測される。

剣聖と謳われ、袋竹刀を発明したとも伝わる(『桂萱村誌』)。多くの流派の祖とされ、様々な伝承が各流派に伝わる。

上泉信綱 – Wikipedia

江戸時代にも使われた竹刀を発明したとも言われているそうです。

また、柳生新陰流の祖である柳生宗厳を門下とし新陰流を伝授したと伝えられています。

著名な門下生

  • 疋田景兼
  • 柳生石舟斎
  • 丸目蔵人佐
  • 宝蔵院胤栄

自身も剣聖と呼ばれ、優秀な門下生を持ち、多くの流派を生み出した上泉信綱を2位としました。

1位 塚原卜伝

Statue of Tsukahara Bokuden
時代戦国時代
生誕延徳元年(1489年)
死没元亀2年2月11日(1571年3月6日)
改名朝孝(幼名)→高幹→卜伝(号)
別名新右衛門、土佐守、土佐入道(通称)
戒名宝剣高珍居士
墓所茨城県鹿嶋市須賀の梅香寺
主君鹿島景幹→義幹
氏族吉川氏→塚原氏
父母父:吉川覚賢、養父:塚原安幹
兄弟吉川常賢、卜伝
妙(塚原安義の娘)
幹重
出典:塚原卜伝 - Wikipedia

流派:鹿島新当流

塚原卜伝は、戦国時代初期の剣豪です。

門下には2位とした上泉信綱や室町幕府第13代将軍の足利義輝など多くの剣豪がいました。

歴史に名を遺す門下生たち

弟子には唯一相伝が確認される雲林院松軒(弥四郎光秀)と、諸岡一羽や真壁氏幹(道無)、斎藤伝鬼房(勝秀)ら一派を編み出した剣豪がいる。また、将軍にもなった足利義輝、足利義昭や伊勢国司北畠具教、武田家軍師山本勘助にも剣術を指南したという。また、足利義輝、北畠具教の両者には奥義である「一之太刀」を伝授したとされている。

雲林院松軒
諸岡一羽
真壁氏幹
成田長泰
斎藤伝鬼房
松岡則方(兵庫助)
足利義輝
北畠具教
細川幽斎
今川氏真
林崎甚助
上泉信綱
山本勘助

出典:塚原卜伝 – Wikipedia

剣豪エピソード

卜伝の弟子である加藤信俊の孫の手による『卜伝遺訓抄』の後書によると、その戦績は「十七歳にして洛陽清水寺に於て、真剣の仕合をして利を得しより、五畿七道に遊ぶ。真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中(あた)ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に敵を討つ事、一方の手に掛く弐百十二人と云り」と述べられている。


上記の通り「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われ、好んで講談の題材とされ、広く知られた。

塚原卜伝 – Wikipedia

このように自身の腕も剣聖と謳われるほど文句なしです。

門下生に2位とした上泉信綱がいる時点で評価が高い塚原卜伝ですが、さらに他にも流派を興した門下生がいたり、自身も強く、後世への影響力も絶大という事で1位としました。


いかがでしたでしょうか。

現代にまで通じる剣術は主に戦国時代に始まり、その後400年経った今でも残っている流派があるなんて歴史を感じさせますね。

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